白 ハク



息子の名前はハク。 浜武 白 僕が決めた。本当にいい名前に決めたと自負している。
こどもの名前を考えるにあたり僕は、シンプルで潔い名前にしたかった。だから白。真っ白で汚れてなくて、正義であり、天使であり生であり死である。そして神である。あ、紙でもいいけど。白は全ての可視光線を反射する色であり、光の三原色を合わせた色だ。巳年の息子なので白蛇は大変縁起がいいし、お米や小麦や塩や砂糖、白いものは命に繋がる。僕が絵描きなので、真っ白なキャンバスをイメージしたのも理由だ、特に新品のスケッチブックが好きでサラの状態で真っ白なスケッチブックを開いて何を描こうかと考えるだけでワクワクして気づいたらまたスケッチブックを買ってしまっていたこともあった。理由はどんだけでもあげられるので、一応九十九個あることにしている。百−一=白ということで。。。

お腹の子は男の子だと言う、日々名前を考えていた、仕事帰り会社を出て駐車場に向かう、田舎の夜は暗い、街灯も少なく月明かりを頼りに車へトボトボ歩いていた。ふと見上げた夜空に白く綺麗に輝く月を見た。息をのんだ、しばらく見上げたまま立ち尽くしていた。綺麗だった、悲しい様なあたたかい様な、その光はこの世の闇を優しく包んでいるように見えた、この真っ暗な世界の出口のようにも見えた。
産まれた男の子は二人によく似た、色の白い、よく笑う子だった。
お腹の中にいたのはお前だったのか。僕等は家族だ、ずっと家族だ。

父になる

絶対に出産には立ち会いたい。その願いを叶えるためミッチは里帰りをせず九州での出産を決めてくれた。妊娠の時間は二人にとって、それはそれはゆっくりとした穏やかな時間だった。日に日に大きくなる妻の身体の変化に、生命の凄さと愛おしさを感じずにはいられなかった。産婦人科の検診には毎回ついて行き、お腹の中の命をエコー画面を通して確認し、高まる気持ちをおさえつつベビー服等はなるべく買わないようにした。僕等なりの安産祈願だった。秋の終わりにいよいよ出産をむかえた、会社を休み万全で備えたが、実際僕の出来る事はほとんど何もなかった、その無力さを感じる事が立ち会い出産の醍醐味なのだ。陣痛が始まり、歩く事すら可愛そうなミッチを見ていたら、この先の出産はとんでもねー事が起きそうだと容易に感じれた。〜中略〜長い長い陣痛の末 オギャーと産声を聞いた時、赤ちゃんの誕生よりまずは妻の無事が何より嬉しかった。出産とは大変、それは男がいくら頑張っても到底それには敵わないものである。ヘトヘトになった妻とフラフラの僕はそれでもこの僕等のちいさな家族を優しい目で見て微笑んだ。まだまだ未熟な二人で父にも母にもなれていないのだけど、これから僕は父に、ミッチは母に、
そしてとんでもない事が始まった。ただそう感じた事は覚えている。それくらい目まぐるしかった。

ハネムーン 33

楽しかった。
よく歩いた。よく走った。美味しいものも沢山食べた。不安にもなったし、細胞に染み渡るような感動もあった。ギラギラした匂いや、優しいにおい、一足早い冬のにおいや、あたたかい美味しいにおい。思い返せば、山の様に撮った写真と、二人で乗り越えて進んだ冒険の時間。
そういえば、ミッチと出逢ってからこんなにも長い時間ずっと二人でいたことなんて無かった初めてだ。実際日々の暮らしでは、仕事にも行くし、土日休みでもその程度の共有なのだが、一週間以上の時間を朝から晩までずっと、過ごし共有出来た。知らない土地だし頼るものは何も無く、お互いの力を出し切ってやりきるしか無い。いいもんだな、と思えた。
今回の旅行で、ミッチは僕の意見をとても尊重してくれた。僕の大好きなダリとの対面やガウディ建築からの刺激。そして二人の為に、愛と優しさに溢れたパリの時間。任せるから好きな様に決めていいよ、と優しさの様な無責任な僕に、何度もスケジュールを決める上で確認してきた面倒くさがって『いいよ。いいよ。』と上の空であったが、結果僕の為を思っての旅行であった事は間違いない。本当に、頭が上がりません。ダリがガラを聖母の様に信仰し愛していた様に、これは僕も見習わねばなりますめえ。
亡き親父が、僕がまだ小さかった頃行ったフランスに、行くとは思ってもいなかったよ。

「旅行というのは沢山あるけど、新婚がつくのは人生で一度きり」
辛い事や、楽しい事が山のようにあるだろうけど、一日はあっちゅう間に過ぎてしまうけど、あらもう一年過ぎちゃったけど、どんどん産まれて、どんどん亡くなっていくし、後悔してるうちに忘れて、また壁がやってきて、歳を重ねるうちに刺激を感じる触覚も退化していくし、クリスマスも正月も誕生日も子供の頃の様な、特別な日では無くなり、霞んでいってまうし、きっと僕は貴方とこれから過ごしていきますが、そんな感じで当たり前の積み重ねで消化する毎日を送り、小さな輝く一瞬に一喜一憂してみたり。共有と呼べるだけの時間をなるべく作り、反省したり、感謝したり。仕事帰りにケーキを買って帰ったり、そういってる間に歳とっていくんだろうなあ。。。て考えたら、どうしようもなく寂しくなってしまったり。
だから、色褪せていってもいいから、同じ時をいきましょう。
僕は相変わらず偏屈で、短気で、我が儘ですが、貴方との日々を後悔した事は一度もありません。
楽しかったよ。ありがとう。

ハネムーン 32 パリ


タクシーはシャルルドゴール空港に到着して、料金を支払う。支払いは、カードででも出来た、しかし折角換金したので現金で支払う事にして、ちょうど€札を全部使い切る額であったので助かった。更に運転手が端数をまけてくれたので、嬉しくなり、フランスに感謝の意を込めおつりはチップであげた。
さてさて、手続きの類いは何となく出来そうなので、ブラブラ嗅覚を研ぎすまして重いスーツケースを押す。日本人が並んでる列に何となく並ぶ、が僕のアンテナが何か違う気がして、前のおじさんに尋ねたら、免税の手続きらしい、あら、じゃあここやないね、、、見回して日本人観光客ツアー団体を発見して、近づき添乗員が説明している話を、ふんふんと頷く。僕らとは全く関係ない団体だが、どうやら機内荷物預けの場所へ行くらしいから、後をついて歩く。この方法は間違いない、若い時ふらっと暇で京都の東寺を見学してる際、外国人観光客の団体に混じって添乗員の話をふんふんと聞いたものだ。何となく、意味が分かるし、観光スポットも分かる。
案の定、機内荷物預けのゲートに並び僕らの番になり、超ヘビー級のスーツケースをミッチが体重計に乗せた。係員は苦笑いして首を振り、規定重量を完全オーバーしていたので『ヘビー』と言ったが、まこれはいいよ。とヘビーのシールを貼り受け取ってくれた。。。しれっと僕も乗せたが、ただでさえミッチのスーツケースの一回り大きい僕のは、「それは無理だね」といった。いやいや無理では困る。確かに規定重量の倍以上になっていた。そんなお土産も買ってないのに、何故だ!?思い出詰め込み過ぎたのか。。とか言ってる場合じゃないね、係員が「出して、手荷物として機内に持ちこんで」というので、脇にそれてケースを開き重そうなものをトートバッグに詰め込んだ。で、完璧!と意気揚々と体重計に乗せるとまだ、1.5倍くらい超えている。「ふーーー。ま、いいよ。。。」と受け取ってくれた。メルシーといい、ヘビー級の手荷物を抱え出国ゲートへ。まだ油断出来ない、とにかく何かしらで止められたら説明する事も出来ないので、ここは一つ笑顔で、堂々と胸を張って通るべきなのだ。が、意外とあっさり出国。
シャルルドゴールの天井は、木の板が一面に広がり緩やかにカーブしている近代的な作りの建物だが、フランスの柔らかな印象を上手く表していると思う。
搭乗ゲート内のラウンジで食事を済ませ、エアフランスへの搭乗を待っていた、空は青々と晴れ渡り、日本人も多かった。僕は、飛行機が楽しみであった。行きの機内が楽しくて仕方なかったからであるが、帰りは少々違っていてCAはフランス人で、英語仕様になっていたのでDVDとかの操作が面倒であった。食事は、美味しく相変わらずビールもワインも好きなだけ飲め、ゆっくりくつろげたので満足には変わりなかったが。。。
日本食を一切食べなかったので、といっても二人ともそんなに恋しくもなっていなかったが僕は日本に帰って何食べようと考えると『ざる蕎麦』が浮かんだ。

ハネムーン 31 パリ

最終日に限って、晴れてしまった。。寒い朝。しかし大荷物を持っての、雨も大変なのでよかったのであろう。今日は、10時にホテルまでタクシーを呼んであり、フロント曰く残念ながらカードを使えないと言われていたので、¥を€に換金する必要があった。換金所は、モンパルナス駅の近くの通りにありフロントに聞くと、9時に開くと言うので二人で8時45分には万全にして開店待ちしていた。とはいえ非常に寒く、風が強かった。付近のキヨスクみたいな店で、ポストカードやマグネットを物色して時間をつぶしたが、全く換金所は開く気配ないし、人も訪れない。。。9時過ぎてこれはダメでしょと、次の手を打った。モンパルナス駅は大きなターミナル駅なので恐らく換金所があるだろうと走った。今日はモンパルナスタワーがはっきり見える。
モンパルナス駅構内を走り回り、換金所を探すとどうやら2Fにそれらしい行列を発見。間に合うか。。。とにかく行列の一番後ろに並び、『大丈夫かな?』と話しながら待つ。これで換金出来なかったら困る。前の黒人のおばさんに聞いてみた『¥カラ€チェンジオッケー?デスカ?』うなずき大丈夫そうだったので、一先ず安心して。順番を待った。
前のおばさんがちょっともめていて時間がかかったが、僕らの番が来てスムーズに換金出来た。しかし思ってたより少ないタクシー足りるか。。。冷汗。ま、最悪はカードで押し切ろう。よしそうしよう。
ホテルに帰って荷造りをしていたが、スーツケースは極悪に重くなっていて、これは帰国前に手がちぎれるかも、と心配になった。フロントにおりたらタクシーは来ており一応、「エスクヴザクセプテレカルトドゥクレディ?」と尋ねてみたら。「オッケー」??!!!!!!!!!!!何??!!!カード使えるの???!!!だよねーだと思ったー、えーーー朝のバタバタは何やったん?そーですか。使えるのねん。よかった。よかったよかった。タクシーに乗り込み、クラシックをBGMにパリを走る。セーヌ川沿いの道だろうか、あー今日は晴れて気持ちいいなあ。シャルルドゴール迄1時間ぐらいウトウトしていた。

ハネムーン 30 パリ

僕らはグッタリ疲れて、やっぱ話せないとあかんねーと反省しつつ、ホテルに戻った。フロントのスタッフと顔見知りになっていたので、明日、日本に帰るんだよと話していたら、あそこ行きました?ラ・クポール!(僕らにはラクポーとしか聞こえない)『いや、行ってないよ』「ラ・クポールはとても素晴らしいお店です。」というので、せっかくだし再び外へ出た。ラ・クポールは1927年創業でモンパルナスカフェ文化を担ってきた代表的なブラッスリーなのだ。しかし、また食事をする程でもない、しかし小腹は空いている、流石にカキとパンだけでは。。。歩いていたらラ・クポールの先に東南アジア人がクレープを焼いていた、僕らは目を輝かせ、今朝注文したものをノートに書いて見せた。めっちゃ親切、めっちゃあったかい、美味しい。泣きそうだよ。最後の夜に、これ食べれてよかった。ホンマよかったわ(泣)





 しっとりとした街を歩きホテルに戻った、家に帰ってような安心感。明日いよいよ日本に帰る、荷造りをしながらこの旅行を思い返す。いやあ、今日も一日楽しかったなー。。。
ホテルの窓から見えた景色

ハネムーン 29 パリ

海鮮レストランは、大体どれかはすぐ分かる。店先に山の様に貝が積まれ、スタッフがせっせと貝を開いているからだ、僕らは店に入り、完全にアウェー感を実感した。スタッフがイラチで英語も話せない僕らに明らかにイライラした態度をとっていた。奥にジョルジュの知り合いらしきオーナーがいたが、他の客の相手で忙しそうだった。仕方なくこのイライラおやじに注文しなければならないのだ。明らかに、地元の人しか来ないこの店に、僕らは見合っていなかった。何しにきたんだ?とからかうような空気で注文を聞きにくるが、待ってまだ決まって無いと突っぱねた。イライラおやじのイライラはマックスで行ったり来たり、「まだ決まってないのか?」バカにしたような笑いもかけてくる。。。このやり取りが数回行われ、僕は席を立ち『ミッチ!出よう』というと、何言ってるの?紹介されたんだからダメだよ、せっかく来たんだし、カキだけでも注文して食べよう。お腹へったら他で食べたらいいやん、と言う。。。。文章にすると、オブラードに包まれてこの怒りは伝わらないのが残念だなぁ、、、僕は、基本あまり怒る事をやめているのだが(実はとても短気で単細胞)さすがにこのおやじホンマに許せん!!!!『コラー!おっさん!おもてでんかー!!あんま舐めとるとシバキ倒すぞ!』と叫んで、イライラおやじの胸ぐらを掴み、表へ引っ張りだして、正座させて『おっさん、それでサービス業やってるつもりか?!オレはいっこも気持ちよくなかったし、はっきり言ってその接客は0点や!もしオレ等が日本人やから、軽くあしらっとるかも分からへんけど、おっさんそういう考え方自体が、アンタのレベルの低さをよーく表しとんじゃ!外の世界も知らんくせに、ただ排他的に物事を考えてしょーもないのーーーー!!!!!!大体オレはカキそんな食べたないんじゃー。』と説教だ
と、妄想してる横で、ミッチは真剣にメニューと格闘している。僕のイライラを察知して、でも注文出来ない自分たちにも反省して、一生懸命メニューを指差しイライラおやじに注文している。ミッチが聖母に見えた、おーなんと慈悲深いお方。このイライラおやじの悪行をお許し下さるのですね、ずっとにらみ続けてて自分に気づきイカンイカン!と一緒に注文をした。無事?!に生ガキが運ばれてきた、レモンをギューと絞り、もうビール飲むしか無ーーーいと、カキ→ビール→フランスパン→ビール→カキ→ビール→フランスパン→ビール→カキ→ビール→フランスパン→ビール→カキ→ビール→フランスパン→ビール→。。。今日は雨でただでさえ寒い。。。もーーーー全部冷たい食事じゃないか!!!パリ最後の晩がこれはあまりだ(泣)でも、聖母は美味しそうに食べていた。よかった。でもやっぱり、僕にはまだこの美味しさ分かりません。
ささっと食べて、お会計をして。イライラおやじに『美味しかったよ!』と言うと「だろー!いい夜を!」とまぁ、答えたが。僕らは早く店を出たかったので、やったー解放されたーという晴れやかな気持ちでいっぱいだった。

ハネムーン 28 パリ

そそれから、K君とYちゃんと別れ、パサージュデパノラマまで行こうという事になりミッチとブラブラ歩いて向かった。が、結果道に迷ってしまい、帰ることにした、僕はトイレに行きたくて我慢してたがちょうど、ブルス駅の外に公衆トイレがあり、個室の建物で、ボタンを押すと自動で扉が開き、格納されていた便器が出てくる、僕が用を足しているとワーンワーンと回転灯が周り、警報が鳴った、?!!『わっ何?何?!!』と慌ててトイレから出た、恐らく自動ドアボタンを2回押したので、中に人がいないはずの状態の場所に僕が用を足していたので、警報が鳴ったのだ。わーーー何なにーこえーなんだよーと急いでミッチの元へ行き、大変だったと報告した。パリの公衆トイレは難しいなあ。。。
そこから、地下鉄に乗りマドレーヌという駅で乗り換えて、セヴィルバビローヌで下車。パリには他にオペラなど美味しそうな名前がある。僕は昔ケーキを作っていたので、やはりケーキの本場やなぁと感心したのだ。

1852年創業、世界最古のデパート、ル・ボン・マルシェを散策して、隣のラ・グランデピスリー・ド・パリ(食料品館)に立ち寄った。様々な食料品は、パッケージも可愛いし楽しくなる。一階にマカロン専門店があり、食べたいということで、買ってみた。僕は、マカロンの良さがいまいち分からない、しかしここで食べたマカロンはそんな常識を打ち砕く程の破壊力があった!まるで、どら焼きのような大きさで、中はおそらくライムのようなジャムであろうか、とにかく美味しかった。

雨が本降りの中、二人で、今夜の夕食に向かう。途中モノプリで下着を購入して、走ってジョルジュの紹介してくれた店まで行った。

ハネムーン 27 パリ

それから、ちょっとゆっくりしたところで、そろそろ動きましょうか。という訳で行動開始。ヴァヴァン駅から地下鉄に乗って、シャトレで乗り換えて、パレロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブルで降りた。そうかの有名なルーブル美術館なのだ。ミッチは入る?と聞いてきたが『あー別にいいや。。。』とルーブルをスルー、周りの人から言わせれば何故パリに来て、ルーブル美術館まで行って入らないのだ!と思うかもしれないが、入ってしまったら完全に観光客になってしまう。パリには散歩感覚で来た、街並を見てカフェでゆっくりして美味しいものを食べる時間を持った方がいい。美術館のモナリザもまぁ本当に見たくなったらまた来たらいいや。という感覚である。
がしかし、流石観光地、観光客もジプシーも物売りも多い。せっかくなのでガラスのピラミッドをぐるりとまわった。よしルーブル来た。これでいいのだ。



ルーブルの敷地にあるチュイルリー公園で、腰をおろしここから何処へ行こうかと地図を眺めていたら、ヴェリブというレンタサイクルに乗った若い日本人男女が目に留まった。こんにちは!と挨拶をしたら「こんにちは」と近づいてきた。僕らはハネムーンで来てる事、明日帰ることを話した。彼K君は福岡の大学生で、今オランダに留学に来ており、休暇でパリに遊びにきているようだ、その後ブラブラスペインにサッカーを見に行くらしい。彼女Yちゃんは詳しくは分からないが、一緒に来てるようだ。僕は今朝食べたクレープの美味しさを熱弁し、場所を教えて、パリの見所を語った。。日本に帰ってきたらまた会いましょう。と連絡先を交換した。こんな出会いが、運命的に思えるのも海外ならではであろうし、こんな他人と一気に距離が縮まることも日本では、まあ無いに等しい。
ここに座っていたら、皮肉にもエッフェル塔が見えた。見に行った時と違い天辺までハッキリと。。。

ハネムーン 26 パリ

花屋でムッシュジョルジュと話していて、今晩は何食べる?と聞かれてミッチが「牡蠣」と答えた。僕は正直苦手だが、パリは冬の生ガキが有名で、是非とも食しておかないと戸言う訳で、ジュルジュの知り合いの店を教えてくれた。そして、雨も上がったところで、今から近くにいいカフェがあるから連れて行くと言って、近所のSTANDというカフェに連れて行ってくれた、がジョルジュは仕事が忙しいからと帰っていった。えっ?と僕らは顔を見合わせたが、これがパリっ子の心意気なんであろう。テラス席で美味しいカフェオレを飲んだ。にしても、歩きタバコ多いし、ポイ捨ても多いなあ、、綺麗な街路樹の根元を見ると吸い殻が散乱しているのだ、残念でならない。

ハネムーン 25 パリ

朝起きて、ホテルのロビーで今日の予定をたてた。とはいえ、とくに予定は無いので今日もゆっくり過ごす予定だった、街をブラブラ歩くだけで僕らは楽しいし、しかしせっかくなので色々見たいという気持ちもあり、ここで予定を立てているのだが。。。
よし今日はとくに予定もなく出発だ。
まず、モンパルナス墓地の横を通りモノプリに行き、お土産を見て回った。一端ホテルに戻り、ムッシュジョルジュの花屋に顔を出した。予定が無いので、何か情報を貰おうといわば日課の様になっていた。相変わらず店内の世界観と瑞々しい花々が所狭しと並んでいて、また朝からスタッフ一同忙しそうに働いている。来客も頻繁で、狭い店内をかき分けて入ってくる。こんな忙しい中でも、Tさんとムッシュは相手をしてくれる、申し訳ない気持ちである。






フランスでは、お葬式の際の花は日本の菊だけとは違い、カラフルなのだそうだ小さな女の子が亡くなったら小さくてカワイイピンクのバラをそえる。明るく元気な人には明るく元気な花束を。人の家に遊びにいく時には、日本でいう手土産として花束がポピュラーである。そして、花を家に飾る文化があるので、それこそ家用の花を買いにくる人もいるし、「昨日おたくで買った花がもう枯れてしまったわ!どうしてくれるの?」と文句を言いにくる客には、ムッシュが「うちの花は、ほらご覧(同じ花を一本取り出して)こんなに元気だ!アナタの手入れが悪いんじゃないか!」と本当、形は違えど花に対する愛情が深いんだなあと感心した。
それから、クレープリーを食べにすぐ近所の有名店に行ってみた。クレープリーは卵やチーズの入った塩味のクレープで、モンパルナスにはクレープリーの通りがある程人気なのだ。残念ながら行列ができていて、時間はあるが並んで食べる程の意気込みは無く、かといって隣のガラガラの店も嫌だし、雨宿りしていたらちょうどテイクアウトのクレープ屋の前だった。ビジネスマンや若いカップルやおばさんが並んで買っている。ここで食べようかと二人で順番を待った。しかし、基本どういうものなのか分からないし、しかしカップルは美味しそうに食べているし、よし、同じものを食べようと、ミッチがカップルに「それは、このメニューのどれ?」と質問していたら、そこに並んでる客も含め全員がこれ!!!と指差した!「!!??」僕らがあまりにも注文出来なかったので、みんな心配で教えてくれたのだ、二人で苦笑してメルシーと言い。おじさんに卵とベーコンとチーズのクレープと、マロンペーストのクレープを注文した。おじさんは頑固そうだが、ふと店の表を見ると日本の雑誌の切り抜きがある、地元紙の特集記事も貼ってあり、このお店そこそこ有名なんじゃん!ちゃっかりおじさんも写っているし。
これが!?めちゃめちゃ美味しい!出来立てで、モチモチしているし生地全体にチーズが山盛りでとろけて、ベーコンの塩味と卵のマイルドさで毎日これでいいんじゃないかと思うくらい美味しかった。栗クレープも温かいデザートでモチモチしてこれは並ぶなあと、二人で美味しく頂いた。先程激しかった雨はようやく小雨になりもう一度花屋に戻った。

ハネムーン 24 パリ




マレ地区は、古いものと新しいものが混ざり合っていて、歩いているだけで楽しい。建物の壁面にグラフィックアーティストのスペースインベーダーの作品がよく目についたので、パシャパシャ写真を撮った。紅茶の店や文房具屋、布生地屋をまわってベー・アッシュ・ヴェーという百貨店に行った。外観はデコデコしたものだが、中はハイソな現代空間となっている。百貨店であればSDメモリーカードが売っているので、早速購入したが、見ているだけで胸躍る店内で、時間がもっとあれば良かったのだが、今夜はKIGAWAで食事の為そろそろ帰らなくてはいけない。。。シャトレ駅まで行き、地下鉄に乗って、ラスパイユまで帰ってきた。


ホテルに戻り、ドレスコードに着替え、花屋にちょっと顔を出して、今からKIGAWAに行ってきますとムッシュに伝え、二人で急いで向かった。
本格フレンチやし日本人やから、楽勝!僕らは、やっと、、、やっと本当に普通に注文出来る、とワクワクしていた。フレンチってどこかかしこまって、取っ付きにくいものに感じていたけど、いやいや本場フランスで、完全にホームだ。そんな思いで店に到着。
フランス人のスタッフに席に通され『?!!』小さな店だが、満席でしかも日本人など一人もおらず、『?!!!!』全員客は仏人。オーーーー、アウェイかも。。。。
と、思いきや大丈夫であった。英語のメニューがあり(基本、ほとんどのカフェが仏語で注文すら難解な課題なのだ)スタッフがとても親切だった。そして、何よりムッシュジョルジュより、食前酒のプレゼントがあったのだ。各テーブルには勿論ジョルジュの花が飾られ、フランス人の粋を感じた。
サーモンのタルタル、鴨、を美味しいロゼで頂き、調子の上がっている僕はだいぶ飲み過ぎてしまい、デザートを食べる頃には半分寝ていたが、フランスで美味しいフレンチを頂きながら、最高の結婚記念日を迎える事が出来た。周りの支えてくれている人たちに、感謝して、これからも平穏無事、穏やかな日々が続く事を考えながら、フラフラ歩く僕をミッチが支えて帰った。

ハネムーン 23 パリ

ボーブル通りを通ってポンピドゥー・センターに着いた。レンゾピアノが設計したそれは、僕が建築を学んでいた時に、ニール・ディナーリ、ザハ・ハディド、アーキグラムなどと並び好きな建築家の一人であったし、見てみたい建築であった。なんせ剥き出しのカラフルな配管を本で見て、進級制作の参考にさせてもらったくらい好きであった。
ここにきて、僕のカメラのメモリがフルになってしまうという残念な結果に陥った、SDカードをどこかでゲットするべく歩き出した。マレ地区はやはりというか、ポンピドゥーが近いだけあってか、路地は狭く入り組んでいるが、アーティスティックな店がある印象だった。しかしここはパリ、ごちゃごちゃした店の外観は、歴史ある建物なので、品よく見える。

ハネムーン 22 パリ

歩いていたら、古本屋を見つけてしまったので、本を何冊か買ってしまい、リュックに入れたが、これが後々後悔する事になるとは、この時は考えもしなかった。。。リュックが重くて重くて肩が外れそうになってくるのである。が、しかし旅とはこういうもので、出逢ってしまったものだから、その瞬間を大切にする。現在振り返ると、重かったが買って良かったと思える。
橋をこえてシテ島に渡り、ノートルダム寺院を通過した。ここも観光客が多く、相変わらずジプシー達が署名を求めてくる。




ハネムーン 21 パリ

リュクサンブール公園を出てレンヌ大通りに出た。ミッチが行きたかったキッチン雑貨の店やドラックストアに行き買い物をした。サン・ジェルマン大通り沿いを歩いているとカフェの白人の店員がコンニチワ。と話しかけてきた、とても気さくな若者だったので、ここでお腹も減っていたし食事をしようとオープンカフェの外席に入った。カフェは大体このスタイルだ、店内より外の席の方が街行く人が見れて楽しい。
食事をしていたら、変な通行人のおっちゃんが僕らの方に近づいてきた。「チャイニーズ?」と言ってきたので僕は『ノ』と答えた「コリアン?」『ノ、ジャポン!!』とムキになっていうと、おっちゃんは目をギョロッとさせてワーーーと何か話してきた。明らかに異様な空気だった、その瞬間お盆を肩の上に乗せた、先程の白人スタッフと、スパニッシュ系のガタイのいいスタッフがもう片方の手は腰に、無言で僕らとおっちゃんの間に入り二人でおっちゃんを追っ払ってくれた。おっちゃんは何か叫んでいたが、二人の勇者がズンズンと詰め寄りおっちゃんは後ずさりして、諦めたようだ。とても紳士的なスタッフに僕らは感動した。若い白人スタッフは日本が好きで(アニメや漫画)来年東京に遊びにいくんだと、語ってくれた『日本は、とても安全な国だから大丈夫だよ』と言うと。「知っています」と言っていた。是非日本でいい思い出を作って頂きたい。
お腹もいっぱいになったので、相変わらずホロ酔いで、店を後にする。





ハネムーン 20 パリ


今日はブラブラ歩きながら、マレ地区周辺を散策する予定だ。そして、今日は結婚記念日だったので、ムッシュジョルジュとTさんに教えてもらったKIGAWAという日本人が営むフレンチレストランに行くつもりであった。とはいえ、電話で予約をしなければいけないので、とにかくノートに予約の会話を書いてみた『ジュスイジャポネ、ジュマペールハマタケ、ユンスレゼルヴアシオンシィルブプレ。オージュルドゥイ、ヴァン、プールドゥーペルソンヌ。。。』完璧!!。。。な、はず。とにかく困ったらシルブプレって言っとけば何とかなるやろうと、携帯から予約電話をかけた。プルルルルル。。ガチャッ「ボンジュー」平常を装いながら僕も、『ボンジュール』次の瞬間、「もしもし?」あれ?『あ、もしもし本日予約をしたいのですが、、ムッシュジョルジュフランソワから紹介されました、、もごもご』バレた、完全にボンジュールの発音だけで、日本人だとバレてしまった。いやー日本語で助かった。無事予約できた。ホテルを出て昨晩のヴァヴァン交差点を通る、ここにはロダン作のバルザックの彫刻が設置してあった。

今日もあいにくの天気で、軽く小雨が降ったり、曇ったり相変わらず寒い。
ここから、北上して歩くきだした、リュクサンブール公園に向かう。途中で地図を見て考えていたらおばあさんが近寄ってきた、どうしたの?僕らは突然だったので警戒したが、ただの親切なおばあさんであった。やはり、いい人と悪い人では、悪い人は少ないんだなあと思った。思いたかった。なんとか辿り着いた、広い公園だった。ミッチによるとリュクサンブール公園はパリで最も美しい公園の一つで、ルイ13世の母の居城、庭園であったようだ、現在は60体を超える彫刻が並ぶ、市民の憩いの広場になっている。とはいえかなりの広さであった。そしてかなりのマイナスイオンっぷりである。



綺麗な公園だねーといいながら、園内を通って北上を続ける。あぁーあ晴れてたら、芝生でサンドウィッチ食べるんだけどなあー。。。