幼稚園の時、近所のスーパーで「母の日の絵コンテスト」なるものがあった。
まあ、僕はもともと絵を描く事が好きであり
毎朝新聞受けから新聞を持って来ては、
チラシの裏の無地の面に絵を描くのを日課としていた。
そしてそのコンテストに出して、スーパーの壁に飾られた。
輝かしい金賞の札が貼られていた。
幼稚園の大好きな先生が、それを褒めてくれた。
それ以後、絵の教室に行きたいと懇願し通うようになった。
そこから描いてる気がする。
もちろん父親や、姉の影響もあるだろうが、
先生に褒められた事がとても嬉しかったのだろう。
僕は筆まめなので未だに、
この幼稚園に先生に、年賀状を毎年送っている。
もうきっとおばあちゃんなんだろうけど
きっと僕の顔も覚えていないであろうけど
『タケシくんは絵がとても上手でしたね、ご活躍をお祈りします。』
そういつも返事をいただいている。
じいちゃん
じいちゃんは、真面目を地でいく人だ。
頑固で全く、テコでも動かない。
お酒は少々、タバコもギャンブルもやらない
好奇心は旺盛で、自分が可愛いキャラだと言うことを自覚している。
戦後ばあちゃんと結婚して、農業、傘屋、そして竹刀職人。
僕のイメージは頑固な竹刀職人。夏休み九州に里帰りしたときは
蒸し暑い工場で黙々と竹刀を作っていた。ラジオから高校野球が流れ
僕はその横で、工作をしていたと思う。
じいちゃんは娘が三人(オカンは長女)なので、息子はおらず
初の男の子である僕に対して、どう接していいか分からないような
そんな空気感があった。不器用だが、竹刀の材料の切れ端を削り竹とんぼを
作ってくれた。
現在も健在で、趣味の水墨画を毎日描いている。
ほんと十年以上ずっと毎日。
朝早起きして、散歩に行き。新聞を一通り読み
ご飯を食べて、アトリエで水墨画を描き、昼ご飯を食べ、
水墨画を描き、三時のおやつを食べ、水墨画を描き
晩飯を食べ、風呂に入り九時には床に着く。
このサイクルを十年以上繰り返している。
そして毎日、日記を書いている。これは数十年という長い間。
僕は、実家にいるときはなるべくじいちゃんと風呂に
入る様にしている。背中を流しながら、昔話を聞いてあげる。
息子がいないじいちゃんが、少しでも冥土の土産が出来るならと思い。
『俺がちゃんと後継ぐからさ、心おきなく逝けるでじいちゃん』
じいちゃんはニコニコ笑った。
頑固で全く、テコでも動かない。
お酒は少々、タバコもギャンブルもやらない
好奇心は旺盛で、自分が可愛いキャラだと言うことを自覚している。
戦後ばあちゃんと結婚して、農業、傘屋、そして竹刀職人。
僕のイメージは頑固な竹刀職人。夏休み九州に里帰りしたときは
蒸し暑い工場で黙々と竹刀を作っていた。ラジオから高校野球が流れ
僕はその横で、工作をしていたと思う。
じいちゃんは娘が三人(オカンは長女)なので、息子はおらず
初の男の子である僕に対して、どう接していいか分からないような
そんな空気感があった。不器用だが、竹刀の材料の切れ端を削り竹とんぼを
作ってくれた。
現在も健在で、趣味の水墨画を毎日描いている。
ほんと十年以上ずっと毎日。
朝早起きして、散歩に行き。新聞を一通り読み
ご飯を食べて、アトリエで水墨画を描き、昼ご飯を食べ、
水墨画を描き、三時のおやつを食べ、水墨画を描き
晩飯を食べ、風呂に入り九時には床に着く。
このサイクルを十年以上繰り返している。
そして毎日、日記を書いている。これは数十年という長い間。
僕は、実家にいるときはなるべくじいちゃんと風呂に
入る様にしている。背中を流しながら、昔話を聞いてあげる。
息子がいないじいちゃんが、少しでも冥土の土産が出来るならと思い。
『俺がちゃんと後継ぐからさ、心おきなく逝けるでじいちゃん』
じいちゃんはニコニコ笑った。
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