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父になる

絶対に出産には立ち会いたい。その願いを叶えるためミッチは里帰りをせず九州での出産を決めてくれた。妊娠の時間は二人にとって、それはそれはゆっくりとした穏やかな時間だった。日に日に大きくなる妻の身体の変化に、生命の凄さと愛おしさを感じずにはいられなかった。産婦人科の検診には毎回ついて行き、お腹の中の命をエコー画面を通して確認し、高まる気持ちをおさえつつベビー服等はなるべく買わないようにした。僕等なりの安産祈願だった。秋の終わりにいよいよ出産をむかえた、会社を休み万全で備えたが、実際僕の出来る事はほとんど何もなかった、その無力さを感じる事が立ち会い出産の醍醐味なのだ。陣痛が始まり、歩く事すら可愛そうなミッチを見ていたら、この先の出産はとんでもねー事が起きそうだと容易に感じれた。〜中略〜長い長い陣痛の末 オギャーと産声を聞いた時、赤ちゃんの誕生よりまずは妻の無事が何より嬉しかった。出産とは大変、それは男がいくら頑張っても到底それには敵わないものである。ヘトヘトになった妻とフラフラの僕はそれでもこの僕等のちいさな家族を優しい目で見て微笑んだ。まだまだ未熟な二人で父にも母にもなれていないのだけど、これから僕は父に、ミッチは母に、
そしてとんでもない事が始まった。ただそう感じた事は覚えている。それくらい目まぐるしかった。

ハネムーン 33

楽しかった。
よく歩いた。よく走った。美味しいものも沢山食べた。不安にもなったし、細胞に染み渡るような感動もあった。ギラギラした匂いや、優しいにおい、一足早い冬のにおいや、あたたかい美味しいにおい。思い返せば、山の様に撮った写真と、二人で乗り越えて進んだ冒険の時間。
そういえば、ミッチと出逢ってからこんなにも長い時間ずっと二人でいたことなんて無かった初めてだ。実際日々の暮らしでは、仕事にも行くし、土日休みでもその程度の共有なのだが、一週間以上の時間を朝から晩までずっと、過ごし共有出来た。知らない土地だし頼るものは何も無く、お互いの力を出し切ってやりきるしか無い。いいもんだな、と思えた。
今回の旅行で、ミッチは僕の意見をとても尊重してくれた。僕の大好きなダリとの対面やガウディ建築からの刺激。そして二人の為に、愛と優しさに溢れたパリの時間。任せるから好きな様に決めていいよ、と優しさの様な無責任な僕に、何度もスケジュールを決める上で確認してきた面倒くさがって『いいよ。いいよ。』と上の空であったが、結果僕の為を思っての旅行であった事は間違いない。本当に、頭が上がりません。ダリがガラを聖母の様に信仰し愛していた様に、これは僕も見習わねばなりますめえ。
亡き親父が、僕がまだ小さかった頃行ったフランスに、行くとは思ってもいなかったよ。

「旅行というのは沢山あるけど、新婚がつくのは人生で一度きり」
辛い事や、楽しい事が山のようにあるだろうけど、一日はあっちゅう間に過ぎてしまうけど、あらもう一年過ぎちゃったけど、どんどん産まれて、どんどん亡くなっていくし、後悔してるうちに忘れて、また壁がやってきて、歳を重ねるうちに刺激を感じる触覚も退化していくし、クリスマスも正月も誕生日も子供の頃の様な、特別な日では無くなり、霞んでいってまうし、きっと僕は貴方とこれから過ごしていきますが、そんな感じで当たり前の積み重ねで消化する毎日を送り、小さな輝く一瞬に一喜一憂してみたり。共有と呼べるだけの時間をなるべく作り、反省したり、感謝したり。仕事帰りにケーキを買って帰ったり、そういってる間に歳とっていくんだろうなあ。。。て考えたら、どうしようもなく寂しくなってしまったり。
だから、色褪せていってもいいから、同じ時をいきましょう。
僕は相変わらず偏屈で、短気で、我が儘ですが、貴方との日々を後悔した事は一度もありません。
楽しかったよ。ありがとう。

ハネムーン 03 日本ーバルセロナ

朝4時過ぎに起きてしまった。。。僕は、寝起きはめちゃくちゃ良い。
もー興奮して寝ていられないので、バスタブにお湯をはって熱い湯に浸かる。
そーいや結婚式前も、神戸のホテルオークラで早朝風呂に籠っていた。
5:50にチェックアウトして地下鉄で福岡空港へ向かう。僕らの武器はeチケットなるもの。この紙切れ一枚でヨーロッパへ行き日本に帰国出来るのだ。それとパスポート。
JALの女性が大変親切に教えてくれた御蔭で、本日の動きが分かった。僕はANA派であった、中学時からANAを贔屓にしていた、理由はCAが美人で若く綺麗。JALはおばさんもいてサービスで押している印象があったからだ。いやいや、ぜんぜんJALも綺麗でした。この旅行で僕の十数年間の思い込みが一気に打ち砕けました。JALさんスミマセン。今後はJAL推しでいきます。そして羽田からシャトルバスで成田へ向かう。時間は少しあったが、ブラブラしてたらあっという間に無くなり、あれ手荷物検査は?出国審査は?と思うくらいにあれよあれよと搭乗した。ミッチが飛行機に乗る前にオカンと水野の奥さんmちゃんにTELした、ミッチママンはあいにくでられなかった残念。
飛行機は。。。非常に快適だった。高校の時ロス迄行った機内の印象が強くて、窮屈で周り外国人ばかりでと敬遠していたが、いや、むしろ良いぞ。ほとんど日本人でCAも日本人で外国人も居るが完全にアウェー感である。高校時の僕だ。DVD見れるし、常に満腹だし。ビールばかり飲んで寝て、日記書いたり。寝たりビール飲んだり。ビール飲んで寝たり。JAL万歳。
そして、到着三時間前くらいから背中が痛くなってくる。首も痛い。
しかしよくもまあ、こんなでかい鉄の塊が十何時間も空を飛んで行けるな、本当人類の技術力の発達には感心する。ライト兄弟すげーよ。もうフライト兄弟に改名していいんじゃないのか。とかバカバカしいことを考えながら。。。
『よく燃料無くならんね』とミッチに10回以上伝えると、面倒そうにコチラを見る。

バルセロナ迄直通が無いのでイギリスのヒースロー空港で乗り継ぎになる。

そんな訳で、ロンドンに着いた。あいにくの小雨だが、空港内での乗り換えのため入国とかは無いらしい。僕らは飛行機から降りて、空港内を巡るバスに乗りバルセロナ行きの為搭乗ターミナルへまわる。ヒースローはスッキリしたデザインでオシャレだった。
乗り換えの案内は紫の案内板を辿って行けば着く仕組みになっている、英語が読めない僕でもサインが分かり易くありがたい。未だ今夏のロンドンオリンピックのグッツも置いてあり、インターナショナル感満載であった。搭乗まで時間があったので、ウロウロしつつ搭乗場所の確認の為インフォメーションに向かった。イギリス籍の台湾人のペイシャンという女性に搭乗口を聞き、まだ時間があるといい。ミッチが仲良くなり何故かスタバでカフェラテを注文する事になった。ペイシャンはとても親切で、僕らを心配してくれた。レジでも代わりに注文してくれた。ハネムーンでスペインとフランスに行くと言うと「オーーー!!」とキラキラして驚いてくれる「スペイン語とフランス語は話せるの?」と聞いてくるので『いえ、全く、英語もほら、この通り』というを悲鳴に近い驚きで、それは大変!!!。。。、、、、オッケーでも大丈夫!きっとうまくいくわ!と僕には聞こえた。ここでの支払いを€でしようと思ったらペイシャンが、カードでと言ってきた。おつりをポンド貰っても使えないから、らしい!なるほど。ヨーロッパ旅行は特に国を跨ぐ際気をつけたい。ペイシャンありがとう。そしてお元気で。
僕らは、飲みきれないカフェラテとティーを持ち、バルセロナ行きの便に搭乗した。
ほぼスペイン人。イギリス人もいる。アジア人も数人いる。いよいよ海外来た感高まってきた。
ヒースローの座席とってくれたおばさんの御蔭で、ミッチとは別々の席である。僕の隣は怒らしたら、一瞬で落とされるであろうマッチョである。三時間程ウトウトしたが、正直ウトウトはもう飽きた。通路はさんで隣のイラン人がめっちゃ見てくるし、ガン見で。アイパットもどきでDJごっこしてうるさいし。ハムサンドが出たが食べれないので持ち帰る事にした。こっちのハムサンドはバケットだ。イラン人は4個もおかわりしている、自由すぎるだろ!
機内は綺麗で、ハイテクだった常に等間隔に天井から下がるモニターに飛行機の現在地、目的地迄の進路、時間がCGによって中継されているので、あぁ今はフランス上空かと、確認出来る。
そして、バルセロナに到着。今が何時か分からない。日本を出て何時間経ったかもあいまである。無事に成田からスーツケースは届いていた。良かった。バルセロナ空港は独特のギラギラした香水のにおいに包まれていた。正確にはスペイン人は、香水を飲用しているんではないかと思うくらいギラギラにおった。天神で見たアバクロみたいな感じだった。
「スペインはアバクロっぽい」
ゲートを出るとμと書いたプレート持つ兄ちゃんがいた。μはMSさんに手配してもらった空港からホテル迄の送迎を委託されている会社だ。僕は安心して駆け寄った。やっった助かった。陽気なスペイン人が「オー待ってたぜ、こっちだこっちだ」荷物を引いて車迄運ぶ。が、「お前達はsimadaだろ?」といわれ『ノーシマダ、ハマタケ』と言うと。「はー?!なんで俺がさっきシマダかって聞いたのに、ノコノコ着いてくるんだ!くそったれ!」とスペイン語で言ってきたので!わーやばい怒らせてまった。とにかく俺はシマダではないと謝り、再びゲート迄戻る。そこにhamatakeの札を持つ兄ちゃんがいた。ごめんsimada担当!simada担当がhamatake担当に愚痴って、hamatake担当はsimada担当に残念だったな、じゃあちょっくら俺はhamatake送ってくるわ!と言っていた。言っていたかは分からないが、そう聞こえた。そして彼の運転は、極悪に怖かった。車はリムジン風で座席は広いがスピードが。。。音楽もギラついていた。ヤッベー。。。。とこ来てしまった。
僕らは、早くも後悔した。日本へ帰りたい。こんなとこで事故って終わりたくない。
へとへとで、ホテルに到着。チェックインはもちろんスペイン語、フロントはいい人だが、さすがに日本語しか話せないハポネスに苦笑いである。
悪戦苦闘の末なんとか部屋に辿り着いた。部屋は最高に広かった。天井が高く、まあギラギラ感は否定出来ないが、オシャレで綺麗だった。大通りに面していて、ベランダにテラスもある。テラスからみたバルセロナはとても怖かった。通行人も全員悪人に見えた。しかし、部屋は安全だもんねー。明日からいよいよスペインの旅。朝5時半起き予定。1時過ぎに僕らはバタンキュー。相当の疲れだった、がなかなか寝付けない、めっちゃうなされた。外国人になんやかんや言われる夢。

ハネムーン 02

木曜。本日も怒濤の仕事量をこなし急いで帰宅。帰路の運転は、フワフワしていた。
久々の感覚である。事故らないようにふわふわする足下に、しっかり意識を集中してアクセルを踏んだ。
荷造りの最終確認を終え、TAXIでJRの最寄り駅迄向かう。荷物を見て運転手が「ハネムーンですか?どこ行くとですか?」『スペインとパリです。』「へー(驚嘆の声)いくらするとですか?」と聞いてくる。九州人は(人によるが)8割値段を聞きたがる。関西人なら自分から言うが、しかしそれはお得に安い場合に限り。適当に答える。しかし、そうかハネムーンか、、二年間の新婚生活を思い返しながら、ミッチの横顔を見る。僕は良き夫らしい事をしてあげれただろうか、僕と一緒になって彼女は幸せになれただろうか。。気づいた彼女は期待と不安の満面の微笑みで返してくれる。よかったよかった。良かったのだろうきっと。
明日の朝は福岡空港7:00発の羽田行きなので、今夜は博多駅近くのホテルに泊まる事にした。重い荷物をゴロゴロ押して進む。ホテルで、前夜祭を祝うべく乾杯をして早起きに備え就寝した。

ハネムーン 01


キオクには鮮度がある。
料理も同じように、鮮度の良いものは美味しいし味の細部まで鮮明だ。
東京〜現在迄のキオクが前後するが、鮮度のいいうちに是非とも書き残しておこうという思いで綴る事にする。
ハネムーン聞こえは良いが、僕にとっては難解な問題であった。
結婚して2年、新婚旅行の予定も無く、まあいつか行けたらいいだろうと、
渋っていた。理由は、経済的なものもそうだし、何より僕は面倒くさがりだからだ。
大イベントは楽しいし、結果一番動き回っているが、その分の反動で死んだように
気が抜けてしまうからだ。
しかし、時勢が来たのだ。
オカンが友人とオーストラリアに旅行から帰ってくるや否や「海外旅行はいいわよ!私ももっと若かったら、もっと違う感性で観て来れたし、感じる事が出来た。貴方達も新婚旅行いかんね!絶対いったほうがいい!!」「結婚生活は大変やけど、女性は新婚旅行の思い出が一生あるから、辛くてもついていけるとよ」ともいっていた、亡き父との新婚旅行の思い出を無理矢理聞かされた。新婚旅行に伊勢参拝とは渋すぎる。
東京での結婚パーティーの際、友人のTJ君にも「人生で旅行は沢山あるけど、新婚がつく旅行は一度きり」と言う言葉もどこかで、僕の胸に引っかかり続けていた。
さてさて、じゃあやるっきゃない!北極だって、南米だって宇宙だってどこでもお連れしますよ僕のお姫様。。。というわけで、夏頃からか徐々に計画を立てて行った。
まず、職場の同僚のIさんに相談した。現在パッケージデザイナーの僕はIさんと2人で社内全ての紙器設計を行っている。既に、キャパオーバーだ、Iさんは大ベテランで母親くらいの年齢で僕ぐらいの3人のお子さんがいて今なお現役バリバリだ。僕がCAD部署に入ってきた事を大変喜んでくれて、心強く思ってくれている。僕も、Iさんの足を引っ張らないように日々頑張っている。そんなIさんは二つ返事で「是非、いってらっしゃい!」と言ってくれた。僕は、ガラにも無く仕事の事が気になってしょうがなかったが、一生のお願いという事で甘えさせてもらった。本当に感謝しています。
そして、いよいよ行ける事になった。
どこに行くかというと、スペインとフランス。旅行の手配は愛妻ミッチに全権を委託し、友人の叔父で個人で旅行代理店をしているMSさんと密に連絡して方向性を決めて行く。
始めに言っときますが、この新婚旅行はツアーでなく個人旅行です。
英語もろくに話せない二人が無謀にも、ハイリスクの個人旅行で10日ほどヨーロッパを回る事は、本人もとより家族中が心配した。
手配してもらったのは航空チケットと、バルセロナのホテル、ダリ博物館のチケット等のみで。パリのホテル、サグラダファミリアのチケット、観光地への行き方からお得な情報等はミッチが手配した。流石ミッチは天才である。

スペインにしたのは、僕が唯一思い浮かんだ国だから。サルバドール・ダリをずっと尊敬していたし、ゴッホやピカソが過ごした芸術を生む国を観たかったから。ミッチは僕のそう言う部分を呼び覚ましたいという思いがあった。フランスにしたのは、二人の新婚生活がフランス風への憧れと、空気感を肌で感じたい。最近ナチュラル志向である、そんなところからだ。
本当は南仏やモンサンミッシェルも観たかったが、今回の旅行の目的は、観光はそこそこ、その土地を歩き、その人々が食べているものを食べ、スーパーマーケットに行き、カフェでゆっくりして。。。とまるで住んでいるかのような体験をしたいというミッチのプランに、全面的に乗っかった。ぼくはダリの何かを観れれば十分。

とはいえ、無精な僕は出発二日前くらいまで、スペインもパリの情報も見なかった。
何とかなるだろうとなめていた。実際、ツアーであれば何とかなるかもしれない。
しかし、個人旅行に必要なのは積極性のみ。二日前にそれを気づき(完全に遅いが)、バタバタと調べてメモしだした。正直、予定が狂えば帰国すら危うい。焦ったが。
まぁその時は、その時 苦笑。。。 

じいちゃん

じいちゃんは、真面目を地でいく人だ。
頑固で全く、テコでも動かない。
お酒は少々、タバコもギャンブルもやらない
好奇心は旺盛で、自分が可愛いキャラだと言うことを自覚している。

戦後ばあちゃんと結婚して、農業、傘屋、そして竹刀職人。
僕のイメージは頑固な竹刀職人。夏休み九州に里帰りしたときは
蒸し暑い工場で黙々と竹刀を作っていた。ラジオから高校野球が流れ
僕はその横で、工作をしていたと思う。
じいちゃんは娘が三人(オカンは長女)なので、息子はおらず
初の男の子である僕に対して、どう接していいか分からないような
そんな空気感があった。不器用だが、竹刀の材料の切れ端を削り竹とんぼを
作ってくれた。

現在も健在で、趣味の水墨画を毎日描いている。
ほんと十年以上ずっと毎日。
朝早起きして、散歩に行き。新聞を一通り読み
ご飯を食べて、アトリエで水墨画を描き、昼ご飯を食べ、
水墨画を描き、三時のおやつを食べ、水墨画を描き
晩飯を食べ、風呂に入り九時には床に着く。
このサイクルを十年以上繰り返している。
そして毎日、日記を書いている。これは数十年という長い間。

僕は、実家にいるときはなるべくじいちゃんと風呂に
入る様にしている。背中を流しながら、昔話を聞いてあげる。
息子がいないじいちゃんが、少しでも冥土の土産が出来るならと思い。

『俺がちゃんと後継ぐからさ、心おきなく逝けるでじいちゃん』
じいちゃんはニコニコ笑った。