ハネムーン 05 カダケス

バスターミナルで何とかカダケス行きのチケットを買った。
手帳に書いてみせる方法は、最も効率的で効果的だ。
バスで1時間程かけて、カダケスに向かう。スーパーマーケットやアパートを通り抜けて、畑の広がる地域を進む。あれ?ここは九州の田舎か?とトリップする感覚。
そのくらい田舎に行けば、どこも同じに見えるのだ。山道をクネクネを上り山を一つ越える。流石に生えている木は全然違う!あ、これ全部オリーブの木だ。流石スペインオリーブオイルが有名なだけあるなあと関心。山を下ったところに街が見える。おそらくあそこがカダケス。ダリとガラが過ごした街である。
そして夢に迄見た街に到着した。


白い壁、青い空、オレンジの屋根、砂浜の砂は砂利で海水浴には向いていないようだ。浜辺には漁船が停泊している、高齢の夫婦が多く、ここは近隣のリゾートのような印象だった。バスターミナルでトイレを借りに行ったら、パスポートの提示しなければトイレの鍵を貸してもらえない。僕らは感覚だけを頼りに海沿い迄来た。お店が並び、人も沢山いるそして野良猫も沢山ゴロゴロしている。写真を撮ったりしていたらあっという間に時間が過ぎ、ダリ博物館の予約時間ギリギリになり、未だ場所が分からない僕は焦った。地元の人に場所を聞き、ミッチとダッシュで走った!!傾斜が半端ない、転んだら転げ落ちる角度だ。なんでこんなとこ迄来て、こんな必死に走ってんだオレ!わあああああーーーーきつーあああああーーーー叫んで丘を越えた、観光客が振り返るがぎゃーーーきつーと叫びながら走り抜けた。。ぎりぎり過ぎたが、なんとか汗だくで受付できた。荷物をあそこで預けてきなさいと言われリュックを預けた。12:30入場になりワクワクしながら入った。5夫婦くらいの数人グループでの見学だ。僕ら以外は皆高齢の夫婦だった。案内係の女性は英語、スペイン語、フランス語を巧みに操り説明をしてくれる、が僕らはチンプンカンプンである。僕は、うなずいたり、微笑んでみたり、時には深刻な顔をして分かってますよ感を出していた。
何よりダリが、ガラを愛しここに住んでいたという愛情を強く感じた。ダリのアトリエを見たときは感動して鳥肌が立った。ここで制作していたのだ。そして死ぬ前に描きかけていた絵がそのままの状態で展示されていた。絵の具もそのまま、寝室も、それは本当一生の思い出になった。







 僕がダリを好きな理由は、常識人だからだ。
一般的に狂人扱いされ、派手好きのパフォーマーの印象が強いダリだが、作品に関しては常人が真似出来ない程の、緻密さでそしてキャンバスサイズが巨大なのだ。
オチャラケタおじさんが描いたとは信じがたい、細部にわたる細かい描写はまさにダリが超神経質だった事を物語っているであろう。その両極が好きだ。表ではオチャラケてアトリエでは呼吸すらとめてその一筆一筆に魂を削ってる姿は、想像出来るであろうか。
そして、何よりも妻ガラを大切にしていたことは有名である。こんなにも愛を感じる著名人はジョンとヨーコくらいだろう。

僕は、ダリの絵で「ポルト・リガトの聖母」という絵が一番好きなのだが。昔ダリ展で見た圧倒的な存在感と構図や表情。全てが衝撃だった。今回訪れたダリ博物館はまさに、ポルトリガトの入り江に存在する。まさにこの風景を、ダリは描いたのだ。



【ポルト・リガトの聖母】
1950年サルヴァドール・ダリシュルレアリスムの作家のひとりとして知られるダリは、戦後は運動から遠ざかり、カトリックの教義とヨーロッパの古典絵画への関心を深めました。その一方で、原爆投下に衝撃を受け、原子物理学にも傾倒してゆきました。本作品は、ダリのこうした戦後の新しい展開を考える上で極めて重要な作品です。キリスト教絵画の伝統的な図像を引用しながらも、全体の構図は原子核構造と重なっています。さらに、聖母マリアはダリの愛妻ガラに置き換えられています。核の恐怖に支配された世界にあってはもはや「神」など存在せず、ただ創造の源泉である愛妻ガラだけが自ら信ずるに足るものだ、とダリはいいたかったのかもしれません。


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